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東京高等裁判所 昭和44年(ネ)2795号 判決

控訴人 陳賢司

被控訴人 金子昌夫

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

(被控訴人の請求原因)

一、控訴人から被控訴人に対する債務名義として、東京法務局所属公証人石合茂四郎作成の昭和四一年第五二四号抵当権設定金銭消費貸借契約公正証書が存在し、右には、(1) 控訴人が被控訴人及び訴外星野幸二郎を連帯債務者として、昭和四一年五月二日三〇〇万円を、弁済期日同年七月二日、利息年一割五分、期限後の損害金年三割と定めて貸し渡したこと、(2) 右貸金債務を担保するため、控訴人に対し被控訴人はその所有の別紙目録記載の土地(以下本件土地という。)に、順位一番の抵当権を設定すること、(3) 被控訴人は、右貸金債務の不履行の際は、控訴人に本件土地を三〇〇万円で売り渡すことを予約し、右売買予約に基づく仮登記手続をすること、及び(4) 被控訴人は、右貸金債務の不履行の際は、直ちに強制執行を受けても異議ない旨を認諾したこと等の記載がある。

二、また、被控訴人所有の本件土地には、控訴人のために、横浜地方法務局神奈川出張所昭和四一年五月四日受付第二一、〇三七号を以て、前記(2) の契約に基づく抵当権設定登記が、また同出張所同年同月同日受付第二一、〇三八号を以て、前記(3) の売買予約に基づく所有権移転請求権保全の仮登記がそれぞれなされている。

三、しかし、被控訴人は、控訴人と前記(1) の契約をして控訴人から前記金員を借受けたことや、控訴人と前記(2) の契約及び(3) の予約(以下右(1) ないし(3) の契約を総称して、本件各契約という。)をしたことはないうえに、前記公正証書を作成したこともないばかりでなく、右の各契約を締結し、また本件公正証書を作成する権限を第三者に授与したこともない。

四、従つて、本件公正証書のうち、被控訴人に関する部分は無効であるから、その執行力の排除を求め、また本件土地についてなされている前記各登記は、真実にそわないものであるから、控訴人に対し、それぞれその抹消登記手続をすることを求める。

(控訴人の答弁及び抗弁)

一、被控訴人主張の請求原因一、二記載の事実は認める。

二、被控訴人は、その妻である訴外金子シゲに被控訴人の財産の管理一切を委ね、シゲは常に被控訴人の代理人として行動していたものであるところ、訴外星野幸二郎は、被控訴人から、右シゲを通じて被控訴人と本件各契約を締結し、かつ、本件公正証書を作成すること、及び本件土地につき前記各登記手続をすることについて、被控訴人を代理する権限を授与されたものであつて、控訴人は被控訴人の代理人である同訴外人との間において右各契約を締結し、本件公正証書を作成し、かつ、右各登記手続をしたものである。なお、控訴人は右公正証書が作成され、かつ登記手続がなされるのと同時に星野に三〇〇万円を交付した。

三、仮りに、星野が前記代理権を有していなかつたとしても、被控訴人は表見代理の法理により、本件各契約の締結及び公正証書の作成について、その責に任ずべきである。

すなわち、被控訴人の妻シゲは、前述のように被控訴人の財産一切に関し、日頃から被控訴人の代理人として行動していたものであるところ、昭和四〇年頃から星野に対して、星野が収益の確実な事業を紹介するならば同人に資金調達の面で協力する旨を告げて、被控訴人所有の不動産の権利証を預けた。星野は、同年中に右権利証と、シゲから交付された担保差入承諾書、印鑑証明書、委任状等を以て被控訴人所有の土地(本件土地を除く。)を担保に供して、金融をうけ、これを当時企画していたモノレール建設事業に投じたほか、昭和四一年初めには訴外鍋島賢一が計画中のクリーニング業に投資するため、前記権利証とその都度シゲから交付された被控訴人の実印を用いて作成した所要の書類を以て、被控訴人所有の土地(本件土地を除く。)を訴外三ツ矢商事、同第一銀行等に担保に供して、それぞれ金融を受けた。このように、星野はシゲの信頼を受けて被控訴人の権利証を引き続き預かり、有利な投資先が見つかる都度シゲの了解の下に、被控訴人の実印を渡され、これらを以て被控訴人の代理人として所用の手続をして、金融を受けることを常としていたものであるところ、控訴人は星野が右のとおり第一銀行等から金融を受けた直後、同人から本件土地を担保として金融の申込を受け、その際本件土地の権利証、被控訴人名義の白紙委任状、印鑑証明書のほか被控訴人の実印をも示され、かつ、同人は他にも被控訴人の代理人として抵当権設定手続をして金融を受けたことがある旨を告げられたので、星野は当然前記各契約を締結し、さらに本件公正証書を作成する権限を有するものと信じて、同人と本件各契約の締結及び公正証書の作成に及んだものである。

このような事情にある以上、被控訴人は表見代理に関する民法の規定のいずれかにより、星野のした本件各契約の締結及び公正証書の作成につき、その責に任ずべきものである。

四、仮りに、右の主張が理由がないとしても、被控訴人はシゲないし星野のした無権代理行為を追認した。

すなわち、シゲ及び訴外大鷹智は、昭和四一年一二月一三日頃、横浜市港北区綱島在の旅館において、控訴人のため本件貸金債権の取立てに当たつていた訴外中村凱郎に対し、本件土地を売却し、同年末までには右金員を返済するので利息等を免除して欲しいと申し入れ、更に同月一九日頃右シゲと大鷹は、東京都千代田区外神田の共同興産株式会社事務所において、中村及び控訴人の代理人である訴外周甲会に対し、本件土地の権利証のほか被控訴人の実印及び委任状を示して、右土地を売却して同月二六日までに右債務を完済すると申し出たものであるが、これらの事実は、被控訴人において、シゲないし星野のした、前記各契約の締結、本件公正証書の作成及び前記各登記手続を追認したことを示すものである。

(控訴人の抗弁に対する被控訴人の認否)

一、控訴人主張の前記二ないし四記載の事実は、金子シゲが被控訴人の妻であることを認めるほかは、全部否認する。

(新しい証拠)〈省略〉

理由

一、被控訴人主張の請求原因一、二記載の事実は当事者間に争いがない。

二、1 成立に争いのない乙第一号証によると、本件公正証書中被控訴人に関する部分は、訴外星野幸二郎を被控訴人の代理人として(なお、星野は被控訴人とともに連帯債務者でもある。)作成されたことが認められる。そうして、右乙第一号証に、成立に争いのない乙第二号証、原審証人中村凱郎、同鍋島賢一、同周甲会、当審証人星野幸二郎の各証言を総合すると、昭和四一年四月下旬頃訴外周甲会は、訴外中村凱郎の仲介により、星野及び訴外鍋島賢一が融資を受けることを望んでいることを知り、控訴人を代理して星野及び鍋島らに三〇〇万円を貸与することになり、同年五月二日星野及び鍋島と会つたこと、その席上、星野は本件土地の権利証のほか、被控訴人名義の委任状(甲第一号証、但し、当時は被控訴人名義の署名と名下の捺印及び受任者星野幸二郎の記載はあつたが、その余は白紙であつた。)と印鑑証明書(甲第二号証)を示したこと、周は中村の立会のうえで星野、鍋島と交渉の末、「控訴人は、被控訴人と星野を連帯債務者として、前記認定のような条件で三〇〇万円を貸与し、鍋島は右貸金債務について連帯保証をすること、右債務を担保するため、被控訴人は本件土地に順位一番の抵当権を設定すること、右債務の不履行の際は控訴人に右土地を三〇〇万円で売り渡すことを予約し、右予約を原因とする仮登記手続をすること、及び以上の各契約について公正証書を作成し、それは右貸金債務について被控訴人、星野及び鍋島の執行認諾文言を含むべきこと」について話合いがまとまつたこと、そこで中村は、前記委任状に委任事項として右各契約を締結すること及び「強制執行を認諾する条項を附すること」(執行認諾条項を含む公正証書を作成することの趣旨と解される。)等を記入してやり、自分は控訴人の代理人となつて、星野、鍋島とともに即日公証人石合茂四郎の役場に赴き、本件公正証書を作成し、ついで同月四日横浜地方法務局神奈川出張所において前記各登記手続をしたこと、及びその頃三〇〇万円が控訴人を代理する周から中村を経て星野に交付されたことが認められ、これに反する証拠はない。

2 そこで、星野が、本件各契約、すなわち、右消費貸借契約、抵当権設定契約及び売買の予約を締結し、かつ本件公正証書を作成するについて、被控訴人を代理する権限を有していたかどうか、換言すれば前顕甲第一、第二号証が被控訴人の意思に基づき作成されたものであるかどうかについて判断する。

(一)  前示証人中村凱郎、同鍋島賢一、同星野幸二郎の各証言を総合すれば、星野は被控訴人の知らない間に他人名義に書き換えられた被控訴人所有の土地(本件土地以外のもの)を取り戻すために、被控訴人が訴訟を起こすについて、被控訴人のため弁護士を紹介した(その時期は当審における被控訴人本人の供述により昭和三九年二月頃と認められる。)ところから、被控訴人の妻シゲと親しくなり、そのうちに、シゲは星野の要請により二、三回にわたり、被控訴人所有の土地(本件土地以外のもの)の権利証と被控訴人の実印とを星野に提供し、星野はこれを使用して右土地に担保権を設定して銀行その他から千数百万円の融資を受けていたこと、そのようなかかりあいから昭和四一年四月下旬頃、星野は、以前金融の世話をしたことで知り合つていた鍋島と共に、鍋島が計画していたクリーニング事業(サンクリーニングと称する会社組織による事業)に融資を受けるため、本件土地を担保に供するようシゲに要請し、シゲも結局これを承諾し、星野らが本件土地に抵当権を設定して融資を受けるために使用することを許す趣旨において本件土地の権利証と被控訴人の実印とを星野に提供したこと(もつとも、本件土地の権利証はその際あらためて星野に交付されたものではなく、被控訴人所有の全部の土地の権利証が一通の書類となつていたところから、星野は当初シゲからその提供を受けて以来これを預つていたものと認められる。)、そうして星野は右実印を使用して被控訴人の印鑑証明書(甲第二号証)の下付を受け、前記委任状(甲第一号証)に署名捺印し、受任者欄に自分の氏名を記入した上で、前認定のように、同年五月二日右印鑑証明書と委任状とを携えて、控訴人の代理人である周甲会の前に現われ、前認定のような経過で本件各契約が結ばれ公正証書が作成されたものであること、以上の事実を認めることができる。原審及び当審における証人金子シゲの証言及び当審における被控訴人本人の供述は、本件土地の権利証と被控訴人の実印とが星野に交付されたいきさつについて、以上の認定と異なり、この点に関する被控訴人の主張にそうものであるが、右証言、供述は、前示証人星野、鍋島らの証言と対比して当裁判所の信用しないところであり、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(二)  しかしながら、シゲが右認定のような趣旨において本件土地の権利証と被控訴人の実印とを星野に提供することを被控訴人が許諾していたこと(シゲを介さないで直接許諾していたこと)を認むべき証拠は本件において皆無である。また、シゲが一々被控訴人の承諾をえないでこのようなことをすることができるように、「被控訴人の財産管理一切を任され常に被控訴人の代理人として行動していた」という事実についても、この点に関する証人星野、鍋島らの各証言は、たかだか同証人らの側からみてシゲが一切任されて処理していたように見えたというに過ぎず、同証人ら自身、直接被控訴人に会つて確かめたことはないというのであるから、同証人らの証言をもつてしては、シゲに前記のような包括的代理権限が与えられていたことを認めるには不十分であり、他にこれを認めるに足る証拠はない。もつとも前認定のように、シゲが何回か被控訴人所有の土地の権利証と被控訴人の実印とを星野に提供して、星野らがこれを使用して融資を受けることを許していたということ自体が、これらのいきさつをまつたく知らないとして否認する被控訴人本人の当審における供述にいささか不審な点があることと相いまつて、被控訴人は、シゲの前記のような行動を知りながら黙認していたのではないか、或いは被控訴人の財産管理を或る程度シゲの自由に任せていたのではないかという疑問を起こさせないわけではない。しかし、(イ)前示被控訴人本人の供述によれば、被控訴人はここ十数年来神奈川県庁に勤務する地方公務員であつて、日常の生活に一応こと欠いでいなかつたと認められ、その所有不動産を担保に供して自ら金融を受けたり、他人が金融を受けるについてこれを担保として利用させることにより利益を収めるというようなことに、被控訴人自身がおよそ関心を示した形跡は証拠上まつたくうかがわれないこと、(ロ)シゲが被控訴人所有の不動産を星野らに金融を受けるため担保として利用させるについて、シゲはともかく、被控訴人自身が星野から利益の提供を受けたり、或いは星野が融資先から抽き出した金員の使途につき被控訴人が参画したというような事実は、これまた証拠上まつたくうかがわれないこと(前示鍋島、星野らの証言によれば、前記の「サンクリーニング」なる会社の役員として被控訴人の名前がつらねられていたもようであるが、前掲被控訴人本人の供述によれば、被控訴人自身はこの事実をまつたく知らなかつたものと認められる。)、(ハ)前認定のように、シゲが被控訴人所有地の権利証や被控訴人の実印を星野に提供したのは、被控訴人所有の土地につき訴訟沙汰が起つた後のことであるが、このような時期に被控訴人がその妻シゲに権利証や実印の持出しを自由に任せていたということは普通考えられないことであること、以上(イ)(ロ)(ハ)の諸点を考慮に入れて考察すれば、前記の疑問は、なお疑問として残るとしても、結局、シゲが本件土地の権利証と実印とを星野に提供することを被控訴人が承諾していたということについてはもとより、シゲに控訴人主張のような包括的代理権限が与えられていたということについても、当裁判所にこれを確信させるだけの証拠は、本件においては、ついに存在しないものと認めざるをえない。

(三)  以上の通りであつてみれば、結局、本件に現われた全証拠によつても、前顕甲第一、第二号証が被控訴人の意思に基づき作成されたものであること、ひいては星野が控訴人と前記各契約を締結し、かつ本件公正証書を作成するについて、被控訴人を代理する権限を有するものであつたことはこれを認めることができないものというほかない。

三、ところで、控訴人は表見代理を主張する。しかし、本件公正証書のうちの執行認諾の意思表示は、訴訟行為であって、その代理については民法の表見代理に関する規定は適用がないものと解すべきであるから、被控訴人が民法の表見代理の規定により本件公正証書に記載されている前記各契約について責に任ずべきこととなるかどうかにかかわらず、右執行認諾条項は被控訴人に対しては効力を生ぜず、従つて本件公正証書の債務名義としての効力は認めることができないものである。それ故この主張は、本訴のうちの請求異議の部分については、それ自体理由のないものである。

そこで、これを前記各登記の抹消登記手続請求に関する抗弁として判断するのに、控訴人は、どの類型の表見代理を主張するのか必ずしも明確ではないが、それはさておいて、右二、に認定したところからすると、星野はかつて被控訴人から代理権を与えられたものでもなく、また、星野が被控訴人の権利証、実印等を所持したことがあるのも被控訴人の意思に基づくものとは認められないこととなる。してみれば、本件においては表見代理成立の前提をなす、被控訴人が星野に代理権を与えた旨表示したこと、被控訴人が星野に何らかの代理権(いわゆる基本代理権)を与えたこと、或いは星野がかつて被控訴人の代理人であつたことのいずれについても十分な立証がないことに帰するから、表見代理の主張は、更に立ち入つて判断を進めるまでもなく、失当であつて、採用できない。

四、さらに、控訴人は追認を主張する。しかし、右三、冒頭にのべたのと同じ理由により、追認によつて本件公正証書が執行力を生ずるものとなるためには、追認行為自体が執行認諾行為と同一の法式、すなわち公正証書の作成によることを要するものと解するのが相当である。ところが、本件において右の方式が備わつていることは控訴人の主張、立証しないところであるから、この追認の主張は、本訴のうち請求異議の部分については、それ自体失当であつて、理由がない。

そこで、右三、同様これを前記登記の抹消登記手続請求に関する抗弁として判断する。

前示証人中村、同鍋島及び同シゲ(但し、当審におけるもので、後記措信しない部分を除く。)の各証言を合せ考えると、昭和四一年一一月末ないし一二月初頃シゲは、東京都千代田区外神田の共同興産株式会社の事務所及び横浜市港北区綱島在の旅館において、前後二回にわたり訴外大鷹某と共に、中村に会い、前記貸金債務は、本件土地を他に売却して返済するから利息等を免除して欲しい旨交渉をしたことが認められ、原審及び当審における証人シゲの証言のうち右認定に反する部分は措信せず、他にこれに反する証拠はない。

右認定のようないきさつがあつたことによつて、シゲが被控訴人に代わつて前記各契約を追認する意思表示をしたことになるかどうかはさておき、右認定のシゲの行為が、被控訴人の意思に基づくものであることについてはもとより、被控訴人が右いきさつのあつたことを知つていたことについてすらも、これを認めるに足る証拠は本件においては存在しない。その他に追認の事実を肯認するに足る証拠もないので、この点に関する控訴人の主張は失当であつて、採用できない。

五、してみれば、本件公正証書の執行力の排除を求め、また、控訴人に対し本件土地についてなされている前記各登記の抹消登記手続をすることを求める被控訴人の請求はすべて理由がある。

従つて、これを認容した原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないから、民訴法第三八四条によりこれを棄却し、控訴費用の負担につき同法第九五条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 白石健三 岡松行雄 川上泉)

別紙 物件目録〈省略〉

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